独身女性、一戸建てを買う。

新築一戸建てを購入したはなしを徒然なるままに。

私がゴッホを好きな理由

私がゴッホを好きな理由は

彼が生涯、孤独であり続けたことにある。

 

 

ゴッホは、彼の人生のどんな局面においても、ただの1度も報われることがなかった。

 

 

常に圧倒的な孤独の中で、ただひたすらに絵を描き続け、そして自ら命を絶った。

 

 

 

もちろん、彼は望んで孤独になろうとしたわけではない。孤独を好んだわけではなくて、むしろ、いつも誰かと分かり合いたい、という強い気持ちを抱いていた。

 

 

それなのに、結果はことごとく裏目に出た。初恋は実らず、友だちとは喧嘩し、神父にもなれず、かといって彼が生きている間に、世間で認知されるところの「画家」になれたのか、というとこちらもそうとは言い切れないだろう。周知のとおり、彼の画の評価が高まり価格が高騰するのは彼の死後のことなのだから。

 

 

陳腐な言い方にはなるけれど、 わたしは、彼がそんな研ぎ澄まされた圧倒的な孤独の中ににいたからこそ、彼の画には魂が宿ったのではないかと思う。

 

 

ただ、私が彼が生きていた時代にいたとして、彼とは友だちにも恋人にもなれれないだろう。彼はあまりにも凡庸ではないから。あまりにも、一般的じゃないから。

 

 

癇癪持ちで、何をやっても上手くいかず、家族のお荷物だったゴッホ。ただ、弟のテオだけは、いつもゴッホの味方だった。

 

 

現在残っている画の多くは、テオの奥さんが保存していたものだ。

 

 

 

彼がお金のために絵を描いたことがあっただろうか。

 

 

 

 表現者には「表現したいから創る」というスタンスが必要不可欠だ。

 

 

 

「消費のために生産する」というスタンスでは、いずれ作品も作家も消費される存在へと成り下がるのではないかと思う。

 

 

 

ゴッホはどんなに報われなくても描いて描いて描いて描き続けた。

 

 

 

売れたい、とか

有名になりたい、とか

 

 

そういうことを目的として据えて作られた作品は、エンターテイメントとしては優れているかもしれないが、きっと後世に残りはしないだろう。

 

 

 

作りたいもの、表現したいものがあるから作るのであって、

 

 

沸き上がる想いがなければ、遅かれ早かれコモディティ化されてしまい、ただ消費されていくものしか産み出せないだろう。