独身女性、一戸建てを買う。

新築一戸建てを購入したはなしを徒然なるままに。

『灰色と青』を考察する。


米津なんちゃらさんの『灰色と青』って曲が流行ってますね。わたしが利用するファミマではいつもこの曲が流れています。

 

 

この歌詞に対して軽く考察していこうと思います。

 

 

まず序盤。

 

袖丈が覚束ない夏の終わり
明け方の電車に揺られて思い出した
懐かしいあの風景

 

私が気になったのは、主人公の服装です。

結局こいつ、何着てるん

 

「覚束ない」っていうのは、わたしの個人的な感覚でいうと「まだ慣れきっていない、自分のものとして習得できてない、不安定だ」っていうイメージなんですね。でも、夏の終わりで、まさかまだ半袖に慣れてないってことはないだろうし。てことは、肌寒くなったから長袖着てみたたけど、まだ慣れない的なかんじか?

 

いちおう、辞書的な意味だとこんなかんじ。


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 えっ、どれなん?

結局ようわからん。

 

 

たくさんの遠回りを繰り返して
同じような街並みがただ通り過ぎた
窓に僕が映ってる

 

ここも、物理的な移動を指しているのか、精神的な成長のなさを暗喩しているのかわかりづらいところ。でも、最初に電車に乗っている場面があるから、聴き手としては、午前中からずっと似たような風景を見ながら移動してるのか?と思ってしまう。そして遠回りとるあるからには「目的地」も必ずあるわけで。「目的地どこ??

 

 

君は今もあの頃みたいにいるのだろうか
ひしゃげて曲がったあの自転車で走り回った
馬鹿ばかしい綱渡り 膝に滲んだ血
今はなんだかひどく虚しい

 

いや、最後「虚しい」で締めたらあかんくない?「虚しいんかいっ!!」って思ったわ。ここは、思い出を回想してるんだから、「懐かしい」とか「いとおしい」とかポジティブワードで締めるべきじゃね?「馬鹿ばかしい」とか「傷」とかのネガティブワードを、ポジティブで締めるからいいんじゃないの?「虚しい」だと、その記憶全否定な気がする。それとも、そういう暖かい記憶を今に活かせてない自分がふがいなくて「虚しい」のかな。

 

 

 

どれだけ背丈が変わろうとも
変わらない何かがありますように
くだらない面影に励まされ
今も歌う今も歌う今も歌う

 

 

忙しなく街を走るタクシーに
ぼんやりと背負われたままくしゃみをした
窓の外を眺める
心から震えたあの瞬間に
もう一度出会えたらいいと強く思う
忘れることはないんだ

 

ここはわかる。

疲れたサラリーマンが目に浮かぶ


君は今もあの頃みたいにいるのだろうか
靴を片方茂みに落として探し回った
「何があろうと僕らはきっと上手くいく」と
無邪気に笑えた 日々を憶えている

 

ここもわかる。

 

どれだけ無様に傷つこうとも
終わらない毎日に花束を
くだらない面影を追いかけて
今も歌う今も歌う今も歌う

 

 

出た、面影。

 

朝日が昇る前の欠けた月を
君もどこかで見ているかな
何故か訳もないのに胸が痛くて
滲む顔 霞む色

 

ここもわかる。

 

今更悲しいと叫ぶには
あまりに全てが遅すぎたかな
もう一度初めから歩けるなら
すれ違うように君に会いたい

 

悲しいと叫ぶべきタイミングを逃してしまったんですね。

すれ違うように、っていうのよくわからない。すれ違うっていうのは、ふたりの人間が相手を意識せずに通過しちゃったってイメージなんだよね。「すれ違うように」っていうのは、仰々しい出逢いじゃなくて、さりげなくって意味なのかな。

 

 

どれだけ背丈が変わろうとも
変わらない何かがありますように
くだらない面影に励まされ
今も歌う今も歌う今も歌う


朝日が昇る前の欠けた月を
君もどこかで見ているかな
何もないと笑える朝日がきて
始まりは青い色

 

 

なんか、もう考察がめんどくさくなりました。

 

 

まあとにかく、けっこう抽象度高いこの歌詞に共感が集まっているっていうのが不思議だなってことです。逆に抽象的だからこそ、幅広く取り込めるのかな。

 

 

すだまさきくんは、カッコいいと思います。