32歳独身女性、一戸建てを買う。

新築一戸建てを購入したはなしを徒然なるままに。

我々が「生きてて良かった」と思うとき、人生にしてやられてる。

いま、お風呂に入りながら、キリン新一番搾りを飲んでいます。

 

 

そして考えたんですね。

 

 

 

今日はめちゃめちゃ寒いじゃないですか。

だから、もちろんお風呂は暖かくて気持ちよいんですけど、でも、そこまで深い感動はないな、って。

 

「生きてて良かった」的なそういうレベルまではね、正直言って感動できてないなって。

 

 

 

では、このお風呂に感動できるとしたら、どんな状況か?

 

 

 

昔、『夜と霧』っていう、だいぶメジャーなあの本を読んだことがありまして。

あれ、想像を絶する過酷な環境じゃないですか。一切れのパンをボロボロに崩して、ビンに保管してちょびっとずつ食べるみたいな。ああいう感じの経験してたら、このお風呂はヤバイな、と。古文でいうところのいみじ、だなと。甚だしい感動だろうなって、そう思ったんです。

 

 

もしくは、そこまでいかなくても『ジェーン・エア』だっけな、なんか幼い頃に入居した修道院の環境が悪すぎて、寒くて眠れないみたいな描写があるんですけど。

 

 

そんな環境に暮らしてたら、凍えそうになりながら帰ってきたところで、温かいお風呂が用意されていたらもう狂喜乱舞くらいの勢いで嬉しいだろうなって思うんですよね。

 

 

 

そんな環境からの、温かいお風呂はまさに

「あー生きてて良かった!」

って思える気がします。

 

 

 

でも、ここまで考えて思ったんです。

もし、これらの状況で「生きてて良かった」って感じたとしたら、頭のなか、だいぶお花畑だなって。

 

 

生きてて良かった、って思える瞬間のためにどんだけの犠牲払ったんだよって。めでたいな、と。

 

 

 

でも、案外人生ってそんなもんなのかなって思ったり。99つらくても、最後に1しあわせだったら、人は「わたしはしあわせだった」って認識できるようになってるのかなって。

 

 

そんなふうに思いました。

だから私は、その得られるかわからない1のしあわせのために、とりあえず明日も生きてみようかなって思います。


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