独身女性、一戸建てを買う。

新築一戸建てを購入したはなしを徒然なるままに。

「早く死にたい」の誤算

″The most important affair in life is the choice of a calling; chance decides it."

 

 パスカルが言うように、職業選択というのは人生においてもっとも重要な問題であるが、それを決めるのは偶然である。

 

 

なぜなら、我々は皆いちど限りの人生を生きていて、同時に複数の経験を有することは不可能だからだ。

 

 

お昼ごはんでさえ、パスタか天丼のどちらかしか選べず、旅行先もパリかハワイかどちらしか選べない。

 

どちらを選ぶか迫られたとき。

我々は何によって決定打とするか。

 

 

第1に経験だ。

以前、食べて美味しかったから。

以前、行って美しかったから。

 

でも、残念ながら、それが出来るのは自販機の中の飲み物レベルまでだ。我々は体がひとつしかなく、時間が24時間しか与えられていない以上は、非常に限られた経験しか有することができないからだ。

すべてを経験した上で、betterであるとの判断を下せるのはそういう意味で自販機の飲み物までである。

 

第2に伝聞だ。

人から聞いたこと、本で読んだこと。誰かの経験を手っ取り早く疑似体験することで、参考にする。でも、その誰かは当然わたしではないから、不完全なソースだ。

 

 

最後にイメージだ。

きれいな女優さんが身に付けていたから、早慶はカッコイイから、看護師さんは優しそうだから、運動部経験者はガッツがありそうだから。そういうイメージを頼りに、我々は化粧品を買い、大学を選び、異性に恋をし、リクルート活動を行う。

 

 

お分かりいただけるだろうか。

いかに、我々が脆弱な後ろ楯によって物事を選びとっているかということを。その裏付けの弱さを。

 

 

私は、1日に5回くらい(死にたい)と思っているが、それは半ば習慣のようなもの、もはや惰性のようなものであり、本当に死んだりなんか、勿論しない。多分

 

 

でも、もし本気で、いま「死にたい」と思っているひとがいたら、私は感情論ではなく、理詰めで彼らを説得してみようと思う。

 

 

 

「それって、1回死んだ上での選択?」

 

 

と。

 

 

死後ばかりはね、選択する上での補助要素となる、手段1も2も使えない。

 

ひとが自ら「死」を選ぶとき。

我々は全力で最終手段の「イメージ」に賭けている。

 

「死んだらきっと楽になる」

 

って。そう、信じきって。

 

 

でもそれは相当な賭けだ。

それは、早慶に行けば安泰、とかジムに行けばモテるとか以上に、はるかに根拠に欠ける、単なる思い込みなのだ。

 

 

もし、死後がもっと辛かったらどーすんだ、と。自ら命を絶った人には1000kmマラソンが待ち構えていたらどーすんだと。

 

 

だからわたしは、

 

「死んだら楽になる」

「私が男の子だったら、絶対○○ちゃん好きになるのにー」

 

世界2大ホラ吹き発言として、断固糾弾いたします。