32歳独身女性、一戸建てを買う。

新築一戸建てを購入したはなしを徒然なるままに。

死から逆算して生きる

誰もが自分があと何年生きるかなんて、わからない。

あした死ぬかもしれないし、100歳まで生きるかもしれない。

 

 

だから、何歳まで生きると決めること自体、馬鹿げているかもしれない。

 

 

でも、漠然といまを生きるよりは、わかりやすいゴールを定めたほうが、目的意識を持って生きることができるのかな、なんてふと思ったのだ。

 

 

 

だから、このことについて考えてみる。

 

 

 

仮に、私の人生のゴールを60歳として。

ゴールまであと約27年。

 

 

これが、私に残された生きる時間ということになる。

 

 

さて、ではこの残り少ない時間をどう使えばよいか。けっこう長いといえば長いし、短いといえば短い。

 

 

 さあ、なにがしたい?

 

 

なにがしたい?

 

 

 

…。

 

 

そう考えてみても、

はっきりこれといった欲望がないのだった。

 

 

生命力は欲望の多さ、と置き換えることが可能だと思う。

わたしにはこの欲望が、何かをしたい、という前向きな欲求が、欠けている。

つくづくとそう思う。

 

 

なんとか、やりたいことを思い描いてみても、それは、ぜんぶひとりでは為し得ないことばかりだ。

 

 

たとえば、

 

旦那さんと家具を選びたい

とか

旦那さんとコストコに行きたい

とか

旦那さんとすこし遠出をしたい

とか

 

 

つまり、私は基本的には生きることに消極的で、それはなぜかといえば、チームで世界と対峙できる相手がいないからで、

 

その相手さえいれば、たいていのことは楽しく思えるような気がする。

 

 

それは幻想なのだろうか。

 

 

あるいは、そんな欲望のほうが、ミュージシャンになりたい、とか、海外旅行に行きたい、とかよりもうんと難しく、贅沢なことなのかもしれない。

 

 

欲望のレベルを、海外旅行まで下げたほうがいいのかもしれない。

 

でも、ひとりで海外旅行行っても楽しくないし、気の合わない人とだったらもっと楽しくないし、結局つまんないんだよな。

 

ひとりだったら、せいぜいゆっくりお風呂にはいって、美味しいビールを飲んで、ぐっすり眠るくらいが、いちばんのしあわせであり、それこそがわたしの目下の生きるための欲望になっている。

 

 

本題からずれた。

 

 

60まで生きるならなるべく多くの本を読みたい。自分の可能な範囲内で最大限に賢くなって死にたい。

 

これならひとりでも出来る。