32歳独身女性、一戸建てを買う。

新築一戸建てを購入したはなしを徒然なるままに。

小林麻央さんの死について思うこと

小林麻央さんが亡くなった、というニュースが仕事中に入ってきて、悲しく思った。

 

 

決して愚痴をこぼすことなく、周囲の人に感謝をしながら、けなげに闘病する様子を見て、その温かな人柄ゆえに、彼女の病気が治ることを誰もが望んだに違いない。

 

 

しかし、悲しく感じたのは束の間で、次の瞬間には「彼女はかわいそうなのだろうか?」という疑問にわたしの頭は支配された。

 

 

というのも、職場でわたしの周囲の人が「まだ若いのに」としきりに言っていたからだ。

 

 

若いのに死ぬのは果たしてかわいそうなんだろうか。

 

 

そんなことを考えるうち、小林麻央さんはとてもしあわせな方なのではないか?と思えてきた。

 

 

 

理由は簡単で、

 

きちんとした医療施設に入っていたこと

愛する家族、親族に看取られたこと

そして何より

 

その生を全うしたい、と強く願っていたこと

 

この三点だ。

 

 

なぜなら、世の中には

 

 

誰にも必要とされることなく、孤独の牢獄の

ような人生を延々と生きねばならない人もいるからだ。

 

挙げ句、

 

精一杯生きても、誰からも惜しまれず、温かい言葉をかけてももらえず、ましてやニュースになんて絶対になることもなく、死んでいくひともいる。

 

 

長く生きることが絶対的な幸福の条件ではなく、愛する者がいて、必要とされていると実感しながら生きることが、幸福の条件なのではないだろうか。

 

 

もちろん、これは相対的な問題であり、

たくさんの人に愛され、長生きをし、世の中の役に立ち、楽にポックリ逝くのが最もしあわせで、そうでない場合は不幸、ということもできるだろう。

 

 

でも、わたしは

 

この先、子供という宝を持つこともなく、親を看取り、ひっそりと仕事を続け、静かにひとり亡くなっていく人や

 

その生が苦しくてたまらず、10代、20代で命を絶つ人を思うとき

 

 

ニュースにならない、ちっぽけな人生の終焉にも手を合わせたくなる。

そっちのほうが、自分に重なるのだ。

 

 

小林麻央さんは、わたしの人生から遠いところにある。

でも彼女と変われるなら変わってあげたかった。もし、公募があるなら、応募したかもしれない。

 

彼女は娘であり、妹であり、妻であり、母であったのだから。

 

私は、娘であるだけだ。

 

小林麻央さんのご冥福をお祈りします。