アラサー独身女性の頭の中

アラサー独身女が日々感じていることを書きます。

独身で本当に良かった。

※これから書く記事は、煽りでもないし妬みでもありません。もし、既婚の方がご覧になって不愉快になったとしたらスミマセン。

 

 

 

今回のコロナに関する一連の騒動をうけて、私は心の底から「独身でよかった」と思っています。

 

 

人は、弱い生き物です。微妙なバランスの上に、人間関係を築いています。自分を取り巻く環境が変われば、その人間関係にも変化が生じます。

 

 

いま、私は突然自宅勤務を余儀なくされた夫のご機嫌を伺う必要もないし、家事分担にやきもきすることもありません。登校禁止になった子供のために、お昼ごはんを作ったり、一緒に遊んであげるなどのストレスケアや勉強のサポートをしたりする必要もありません。

 

 

こんなときだからこそ、家族で支え合える喜びを感じる人もいると思いますが、「大切にしたい!」「守りたい!」という思いが強ければ強いほど、解決しなければならない課題が次から次へと押し寄せてきているのが現在の状況だと思います。執着心はストレスを生みます。

 

 

私は高齢の域に片足を突っ込んでいる親と、自分の心配だけをしていれば良い状況です。

 

 

もし、結婚していたらもっとストレスが強かったと思います。子供の問題、夫の問題、家の問題…。私の狭い器では、それらのことを真正面から受け止めきれる自信はありません。

 

 

勿論、常日頃は孤独をスルメのように噛み締めて生きている身なので「独身万歳!」「独身こそ至高!」と言いたいわけではありません。

 

 

世界がはやく、コロナの苦難を乗り越え、みんながもとの幸せな日常に戻れることを祈っています。

 

 

コロナが怖い

コロナ、まじで怖い。

 

もし自分がかかったら、家族に会えなくなる。家族がかかっても、会えなくなる。私はまだ健康だからいいけど、高齢の親がもしかかったら、命の危険がある。

 

 

昨日、山中伸弥教授とYOSHIKIの対談をYou Tubeで見て『本当に今が瀬戸際なんだ』と実感できた。あと、ニューヨーク在中のシングルマザーの方の警告動画もためになった。

 

 

かかっても、8割は無自覚で、2割に牙を向く、というコロナの性質も怖い。

 

 

 

そんな中、私は脱毛の予約をしてしまったわけだが…。これは行けなそうだ。万が一、コロナをもらってしまったら、みんなに迷惑をかけてしまう。

 

 

1日ごとに状況が大きく変わっていく。

 

 

 

色気の正体

「色気とは」っていろんな人がいろんな定義を示しているけれど。

 

 

ある人はそれは知性だと言い、またある人は胸の大きさだと言い、また別の人は単に肌の露出の割合だと言う。

 

 

ただ、私は色気っていうのは女性が女性に対して感知できるものじゃなかろう、と思っていてね。やはり、男性が性的に刺激を受けるような雰囲気を以って、色気と言えるのではないかと思うのです。

 

 

だから、色気=知性とか…んなわけないじゃん(笑)と思ってしまいます。寝言は寝て言えっていうの。

 

 

はい。

 

 

じゃあ、私の意見はって??

 

 

 

 

私はね、色気ってのは、『いつでも(貴方に服を)脱がせてもらって結構ですよ』っていう自信から生じるものなんじゃないかと思うんですね。

 

 

私はいつ貴方に抱かれてもOKです』という余裕。そこから生じる雰囲気を、人は【色気】と呼ぶのではないかと、そう思うんですね。

 

 

自分の身体に自信がないと、女は男に『余裕』を見せることができない。

 

 

ここで、実際に抱かれるかどうかは問題ではないんですね。いや、どちらかというと抱かれないほうが、勿論好ましいです。そのほうがより一層、その女性の色香を引き立てるでしょうからね。

 

 

ただ、『脱ごうと思えばいつでも脱げる』という自信。これが大事なんだと思う。

 

 

華奢な脚に、くびれ、ぺたんこなお腹、つるつるの陶器のような肌。それに加えて、セットアップの美しい下着を身に付けて、隣の男を見つめるとき、その女はたぶん、色気を出している。

 

 

そう考えると、自分で考えた定義だけれど、私はいまだかって、ただの1度も色気を出していたことはないな。

 

 

 

今年は色気のある女になりたいです。

 

 

脱毛は断捨離と同じ

4月半ば以降に初めての脱毛を経験する予定の私。

 

カウンセリングにおいて、その場の流れに任せて1番高い、全身脱毛を申し込んでしまったのである。

 

 

さて、困ったのはVIOだ。いかんせん、自分の身体とはいえ、これまで真剣に向き合ったことのない部位である。しかし、お店のお姉さんにお見せするためには、まずは自分の目で確かめて、ちゃんと処理しなければ。

 

 

そこで、まずは下処理をしてみようと思いたち、ハサミ片手にジョキジョキどんどん下半身の毛をカットしてみた。本当は形を残したほうが無難なんだろうけど、なんか考えるのが面倒くさくて、全部処理することにした。

 

 

ジョキジョキジョキジョキ、どんどんカットしていく。ジョキジョキ…ジョキジョキ…。

 

 

すると、これまで毛で覆われていた下半身がどんどん露わになっていく。

 

 

大方カットし終えたら、なんかすごくスッキリした。

 

 

その後、お風呂で簡単に剃っていく。

 

 

 

おお、なんかいいな。清潔だし、まるで、余分な物の何もない、手入れの行き届いた部屋みたい。

 

 

 

毛は、明らかに要らなかった。

 

 

脱毛は、なんか、断捨離に似てるなと思った。 

 

好きは嫌い。

本当に、人と人とが近しく付き合って、好意の感情を抱くようになると、それはもう次に、嫌悪とまではいわないけれど、あまり好きではない、という感情を抱くということが予見される。

 

 

すなわち、【好き】は【嫌い】のフラグである。

 

 

私には、手放しで「好き」と言える人はいない。

 

 

親も、友人も、同僚も、元カレも。

 

 

とくに、元カレに関してはその【好き】の量と同じか、それ以上に【嫌い】の量があったように思う。

 

 

近づけば近づくほどに、その人のことが好きになり、同時に嫌いになる。

 

 

思い通りにいかない振る舞いに。

自分に対する無理解に。

相手の矛盾に。

 

 

近づけば、近づいただけ愛着も湧くし、素敵な点も見えるけれど、同時に醜い点も見えてしまう。

 

 

だから、好きというのは嫌いも抱くことだ。

 

 

アイドルを、遠目に見ているだけのかっこいい同僚を、たまにしか会わない親戚を、我々は好きなることはあっても、嫌いになることはない。

 

 

ということは、つまり、本当の意味では好きですらないのだ。その【好き】は、相互通行ではなくて、片道だけの思いであったり、彼らのうちのほんの少しの視覚的な情報や付き合いから得られた断片がつくりあげた幻想に過ぎないのである。

 

 

そう考えると、好きになるということは、なんと体力と気力のいることか。

 

 

近づけば、必ず【嫌い】が生じる。

ライトな付き合いであれば、生じない。

 

 

相手に何も求めない。自分と感性がズレている点には目をつぶる。どうでもいい冗談をいい適当に褒め合う。愚痴を言い合う。こうして緩やかな好きを続けていく。

 

 

【好き】ばかりで、【嫌い】がほんの少しならいいけれど、私はまだ、そういう関係性を知らない。

 

 

私は今、浮気症の旦那に、家事を手伝わない旦那に、立って用を足す旦那に、イライラしていない。

 

 

好きがないから、嫌いもないのだ。

 

 

あるのはどこまでも続くような平坦な感情だけである。

 

 

同僚に何も期待しない。

親に何も期待しない。

 

 

人に心を消耗されてゆくのは疲れる。

 

 

好きもないのに、嫌いだけ生じるのは本当に無駄だ。

 

 

縮毛矯正&カット

雪、降ってますね。

 

そんな雪の降りしきる中、私は美容院へやって来ました。

 

縮毛矯正とカットをするために。最後に矯正したのは去年の9月半ば。昨日、雨でまとまらない自分の髪を見て矯正しようと決めました。ただ、髪は女性らしく伸ばそうと決めたので、今日は量を減らして整える程度で。

 

 

今朝の体重は50.55kgでした。4月は49kg台

へ戻したいですね。新しく購入した体重計は、体内年齢を教えてくれるのですが、今朝は24歳ですと言われて悪い気がしなかったです。

 

 

来月ははじめての全身脱毛が控えています。

 

 

今年、たぶんいちばんの決断は全身脱毛を始めたことですね。

 

平均よりも若くて可愛い40歳になりたいので、こつこつがんばります。

 

 

 

スミマセンを、断るために使うヤツ

スミマセンを枕詞につけてそのあとすぐに「無理です」と言う。

 

「スミマセン→ムリです→申しわけない→今ちょっと厳しいです」

 

このパターンばっかり。

だから、何も頼みたいと思わない。自分でやったほうが早い。

 

 

人から何かを頼まれたとき、たとえそれがほんの一瞬の動作で終わることでも、すぐにやれない。すべて、後回し。後回し。後回し。

 

 

こんなやつとは一緒に働けない。能力が圧倒的に低いんだろうな。キャパがなさすぎる。自分のことすら満足にできないのに、他者になど貢献できるわけもない。

 

 

私はこいつの生き方が変わるとは思っていない。人はそう簡単には変わらないし、変わってほしいとも思っていない。変わるということは、ヤツが成長するということだし、成長するということは人格と能力が優れるということで、それはすなわち人望がある人間に変わるということだから。

 

 

このまま、仕事の出来ない人間として嫌われ続ければいいと思う。蔑まれて、疎まれて、でも自分は気づかずに生きていけばいいと思う。

 

 

おまえが苦しめばいいと思うから私が出ていく。