32歳独身女性、一戸建てを買う。

新築一戸建てを購入したはなしを徒然なるままに。

「終わり良ければすべて良し」について考えてみる。

終わりよければ、すべて良し

って、非常に夢のある言葉ですよね。

 

 

途中経過がどうであれ、最後が「良い」結果になっていれば合格!みたいな。

 

 

これに対して「いや、中身の方が重要だ。結果よりも内容だ」みたいなことも言われたりするわけですけど。こっちの方は、例えばまあ部活の試合で負けてしまったときなんかに教員が生徒に対して掛ける言葉としてメジャーですね。それに対して生徒も「みんなと頑張っていい思い出になりました」とかなんとか言っちゃったりしてね。

 

 

まあ、この部活の例っていうのは、結局のところ「目的」あるいは「結果」を何に定めるのかっていう問題なんですね。

 

 

つまり、この場合の目的というのは2つあって。

 

ひとつは、「みんなで協力して頑張る」という行為そのもの。積み重ねてきた時間がすでに目的であり、すでに為されており、引退試合で完結した。

 

もうひとつは、「試合に勝つ」という目に見えるもの。

 

本来、両方手に入れられればそれが勿論いちばん良いわけです。しかし、この場合、はじめから前者を「目的」にするってことはあんまりない。だからまあ、誰もが後者を第一の目的に据えるわけです。

 

 

つまり、たいしてがんばりもせず、試合にも負けたっていう人にとっては、両方の目的を達することができないのです。

 

 

これにたいして、非常にまれなパターンではありますが、たいしてがんばりもしないのに、試合には勝てた、という人。これはどうなんでしょう?

 

 

世間ではこの状態こそを「終わり良ければすべて良し」として認識しているような気がします。本人の心の充足度合いはさて置けば、これもひとつの「結果」を手にいれたという意味では、まあ成功しているでしょう。でも、楽して目的を達成してしまったという教訓を手にいれたことによって、今後あらゆる物事に対して無気力化する可能性もあります。そういう意味では、両方手に入れられなかった人のほうが、「あ、頑張らなきゃだめだ」っていう学びを手に入れるかもしれず、その結果次の局面では成功をおさめるかもしれません。いやあ人間じつに塞翁が馬ですな。

 

 

 

いずれにせよ、人生において様々な局面で「終わり」は出現します。

受験勉強、会社のプロジェクト、恋愛、子育て…。エトセトラエトセトラ。

 

 

でも究極の終わりは「死」ですね。

 

 

だからこそ、今現在満たされていないような状況であっても、死ぬまでには事態は好転すんじゃねーかっていう一縷の望みを繋ぎ止めて置くことができるんですね。

だって、「終わり」=「死」がよければすべて良しなんだから。

 

 

これは、希望の持てる言葉。

 オラ、ワクワクしてきたぞ。

 

 

でも、逆に考えるとね、

「最後がダメだったら、ぜんぶダメなの?」

っていう疑問もある。

 

例えば

 

容姿端麗に生まれた女性が、お金持ちの両親に愛され、兄弟に恵まれ、たくさんの友人に囲まれ、異性には常に優しく接してもらえて、それはそれは幸せな半生を送ってきたけれど、突如父親の会社が倒産し、夫に浮気され、子供は重度の障害をもって生まれ、自分の容姿はかつての美しさを失い、すっかり老けたおばさんに、みたいな感じだったら、それってどうなんでしょう?

 

 

人生の前半にかなりの幸せを先取りしているから、平均よりも、手に入れた幸せの質量は多いと思うんだ。

 

 

でも、不思議と「そうなりたい」とは思わないよね。

 

 

そう考えると、人生の前半戦に大して幸せじゃないっていうのは、大逆転の可能性もそれだけ高いってことなんじゃね??

 

 

わたしは、その可能性にかけたいな。

その可能性を信じることが、生きる力になってるのかなって思うんだ。

 

 

男性が若い女性と結婚したがる理由が理解できるようでいて、本質的には理解できない件について。

いしだ壱成が、19歳の女の子と付き合ってるってことで話題になってますね。好きにすればいいと思います。

 

 

まあ別にこの人に限った話ではなくて、たいていの男性って女性に「若さ」を求めますよね。おそらくより多くの子孫を残すための本能的なものだと思うんですけどね。

 

 

 

こういうと、大抵の男性は

「いやいや、そんなことないよ。若ければいいってもんじゃなくて、中身が大切で…ナントカカントカ…話が合わないと…ナントカカントカ」

とか言い訳みたいに言います。

 

 

はい、信用しません。

 

 

なぜってね。

 

 

 

そういう人に限って!!

 

超若い奥さんもらってたりするんだよね。

 

 

 

でね。

まあ、べつにおっさんが若い女子と結婚しようが交際しようが、構わないですよ。かくいう私もね、10個上の人と付き合ってましたからね。ええ。

 

 

 

でもね、ただ単純に!疑問なんですね。

 

 

若い子と付き合って、なにが楽しいんかな?って。

 

 

この疑問の核はね、ジェネレーションギャップだとか、そういうことじゃないですよ。

 

「あれ、この歌手知らない?まいったなー」

とか

「ん、何それ?日本語?どういう意味?」

とか

 

そういうことじゃないですよ。

 

 

 

要は、「知識と経験の差」が埋まんなくね?ってことです。

 

 

男性側が、知識においても経験においても女性より圧倒的に優位に立つ場合。

それって、話してて楽しいんかな??

って思うんですよね。

 

 

 

それが、ほんっとーに疑問。

 

 

私個人の意見でいうとですね、自分よりも知識も経験もない人と話していても、相手のレベルに自分を合わせなきゃいけないから、知的欲求が満たされないんですよね。会話自体がボランティア、みたいな。それはべつに年下の異性に限った話ではないんですけどね。会話って、目には見えないけれど、その人の有してる教養だとか論理的思考だとかが結構如実に出るんですよね。

 

 

42歳の男性が、19歳の女性と話してて、そのへん上手くいってんの?

 

 

って。

単純に疑問なんですよね。

うん。

それが、理解できないんですね。

 

 

その他はわかりますよ。

 

 

まず、若い子は見た目がきれいだから、単純に見ててテンションあがる!とか。

水も弾くような肌は性的にめっちゃ興奮する、たまんない、とか。

若い子から好意を寄せられる=男性としてまだ魅力的な俺=自己肯定感up、とか。

おっさん友達に自慢できる、とか。

女の子が若い分、なんにも知らないから、何を話しても感心してくれて俺様気分を味わえる、とか。

 

 

 

まあ、そういうことはね、分かるんです。

 

 

ただね、

 

 

一緒にいて、楽しいん??

 

 

 

それが、わからんのよ。

 

 

ほんとに。

 

 

 

私は自分が相手に合わせて会話しているときって本当に退屈だから、42歳のひとが19歳の人といて、性的にではなく、知的に満たされるっていう感覚がわからないんだよね。

 

 

 

たぶん満たされないと思うし。

 

 

それでいいん?

 

 

 

そこが満たされなくても、からだが満たされればいいってことなんかな、って思っちゃう。もしくは、男性側の知的レベルが極端に低いか、女性が知的に高度だと性的に萎えてしまう体質なのか。 

 

 

 

女性側がおじさんに依存したい、っていう気持ちはわかるんだけどね。

 

 

 

逆はね、私は女だからね、やっぱり本質的にはわからんのよねー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

購入品紹介 お洋服

ねえみんな!

 

 

 

これ、ぜんぶでいくらだったと思う?


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カーテンレールに掛けているもんだから、ちょっと洗濯物っぽく見えてるけど、さっき買ってきたばかりのものですわよ。

 

 

これね、

 

 

ぜんぶで、

 

 

 

なんと、

 

 

 

 

2,718円。

( ´_ゝ`)

 

 


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 ニットかわいい。

 


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 カットソーは冬のインナーとして着倒すと思う。


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パンツ、いままで2本でまわしてたからこいつの到来ありがたい。

 

 

紺ニットは定価5,990円+税

のところ、990円+税。

 

カットソー3種は定価2,990円+税

のところ、390円+税。

 

デニムは定価5,990円+税

のところ、990円+税。

 

で、さらに全体から5%OFF、かつ、500円引きだった。

 

 

どこで買ったかというと、洋服の青山

なんかアメリカンイーグルと提携してるぽくて、激安だった。だからみんなも洋服の青山行くと、高確率でアメリカンイーグル安く入手できると思うよ。

( ´_ゝ`)

 

 

しかも、このあいだゲットした商品券使ったから実質支払ったお金は718円だけ。

 

 

 

今回、5着新入りが着たから、古参6着には退去してもらう予定。メルカリめんどいからおそらくトレファク行き。

 

 

 

 

プチ旅行~近所の公園~

近くの公園に散歩に行ってきました。

 


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空と紅葉のコントラストっていいよね。

もう夕方だったから、パキッとした色合いがでなかったけれど。

 


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 きれいだよね。


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どや、

このギャラリーに展示してありそうな雰囲気。

 

お出掛けって億劫だけどね。

でも、こんな風にちょっと足を伸ばせば行けるようなところへはちょいちょい行こうかなって。いま住んでいるところ、もっと好きになりたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スーモのアンケートで商品券ゲット

ある日、山手線に乗っているときに「新築住宅を買った方に5000円分の商品券プレゼント!」っていう広告を目にした。アンケートに答えるだけで商品券がもらえるらしい。

 

 

そりゃあやるでしょ!

 

 

早速アンケート用紙を請求し、チャチャッと答えてポストへイン。

 

 

そして先日、商品券いただきました。


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 じゃーん

 

 

 

みなさんの中でも最近住宅購入したよ!っていう方はぜひチェックしてみてください。

(*´∀`)

 

 

『何歳まで生きますか』


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これ、ずっと気になっていたので先日Amazonで買って読んでみました。

 

死に対するいろいろな考え方がギュッと詰まっていて、とても興味深い内容でした。なかでも印象に残ったのは、雨宮まみさんの

 

 

「歯を磨いても顔洗っても次の日にはもう汚れているし、食べ物も食べたら無くなっちゃうしで面倒くさい。(生きることに)向いてない」(※ニュアンスで伝えてます。原文ママではありません)

 

 「女って年とると、チヤホヤされなくなるって恐怖がずっとあって。異性と楽しいことができるっていう喜びがなくなったら、あとは…なにしようかなっていう。」

 

 

 っていう言葉。

激しく同意。

 

 

 あと

 

真鍋昌平さんの

「一ヶ月に2つ楽しみを作るのが生きる秘訣。だいたい2つくらいで十分」

っていうのも、なるほどなと思いました。

 

 

あとは、久保ミツロウさんの考え方が全体的にかなり独特で面白かったです。

 

 

前ふたりのインタビューは、ネット上でも公開されているので気になったかたはぜひ読んでみてください。雨宮さんはその後亡くなってしまいましたが…。

 

 

わたしが、同じ言葉を向けられたらどうだろうって考える。「何歳まで生きますか?」って。まあ、この質問自体が平和な国、環境でないと成り立たないとは思うのですが。

 

 

 

でも、死ぬ時期が定まっていたら、そのときまでに何をしたいかが見えてくるっていうのはあると思う。

時間もお金もたくさんあると無駄遣いしがちだけど、限りあるとわかっていれば、ちゃんとその使い道を考える。

 

 

わたしはもう32まで生きたから、とりあえずの目標を42にしようと思う。

 

 

42歳までにやりたいこと。

 

とりあえず結婚かな(笑)

 

 

逆に42歳までに結婚してなければ、もう結婚の可能性もほとんどなくて、だからこそもっと思考が自由になれる気もするけどね。

 

 

 

 

 

 

安室奈美恵のおわりに、自分のおわりをみる。

安室奈美恵

 

 

わたしが、小学校6年から中学生だったころにピークだった歌姫。

 

 

そう。

古市憲寿氏が言うように、彼女は「ずっと第一線を走り続けた」なんてことはなくて、ちゃんと「全盛期」といわれる時代があったのだ。世の中をアムラーで満たした時代が。

 

 

だからこそ、いま彼女が引退することが明らかになり、街中でかつての彼女のヒットソングが流れるようになると、我々は「彼女のおわり」ではなく、「自分のおわり」を感じる。

 

 

 

♪どーこへーでーもー

つづくーみちーがあるー

 

 

 

あの時代は終わったのだと、誰になにを言われなくとも、その曲を聴くだけで、我々は自分が既に「終わった」コンテンツであることを切実に感じとる。

 

 

 

かつての日差しや

かつての不安や

かつての夢のようなものが

 

 

曲とともに映像になって、立ち上がる。

 

 

それは、すでに終わった、あるいは始まることすらなかったものたちで、わたしたちはもうあの頃から遥か遠くに来てしまったことを知る。